医師 転職に関するビジネスと今後
「尊厳死協会という名称は、わが国に先立って世界各回で採用されており、日本もそれにならったわけですが、『人間性の尊厳を維持して死ぬ権利』を強調し、一部の人たちの誤解を解消するために会名を変更したものです」。
だが当時の関係者の証言では、協会内に積極的安楽死を主張する勢力も大きかったという。
積極的安楽死派と消極的安楽死派の対立がピークに達したのは一九八〇年(昭和五十五空の第三回国際会議での総括をめぐってである。
この会議はオックスフォード大学で開かれた。
このときは参加国も十六カ国にふえて、安楽死に批判的なカトリック勢力の強い西ドイツ、フランス、イタリアなども加わった。
第三回の国際会議とあって、さまざまな立場の安楽死肯定論者が出席したが、とくに紛糾したのはイギリスの安楽死協会の一部の会員から『自殺の手引』というパンフレットを配付する案がもちだされたことだった。
このパンフレットには、末期患者が自殺することを「合理的自殺」といい、これは自らの死を自発的に早めるための安楽死だといって、そのための具体的な方法さえ盛られていた。
これは積極的安楽死の公然たる要求であり、どこの回も法体系では認めているわけではないので、論議も白熱した。
厭世自殺といってもいい安楽死の容認である。
しかも末期では本人が自殺するだけの肉体的な力をもっていないとも考えられ、そうなると他人の力を借りなければならない。
善意の第三者が殺人罪に問われることにもなる。
この『自殺の手引』はどの因の協会も国内では配付しなかった。
当のイギリスでも許可されなかったのである。
日本安楽死協会もこのパンフレットを配付すべきか否かを論争した。
配付を認めるというのが積極的安楽死の立場、認めないというのが消極的安楽死の立場と色分けされた。
結果的に、消極的安楽死論者の見解がとおり、日本は「合理的自殺の立場」は採らないと決めた。
このパンフレットは配付しないことになったのである。
だが積極的安楽死を主張する理事の一人が週刊誌にその内容を発表するなじて、対立が鮮明になった。
この時期にもうひとつの動きがあった。
スウェーデンの安楽死協会の幹部(ベリット・ヘデビー女史)が、多発性硬化症に悩む友人が自殺を希望したというので、薬剤を用いて安楽死させた。
これがスウェーデンの法廷で裁かれることになったのである。
O典礼は、このヘデビー女史の日本招待を企図した。
Oはこの女史の行動を評価していたのである。
しかし、これも理事会で否決され、協会としては日本に招待しないと決めた。
この二つの事件によって、日本安楽死協会は積極的安楽死の立場を捨てた。
そして、協会の方針として、「自発的消極的安楽死」を採り、積極的安楽死を原則として認めない、自殺を勧めたり助けたりしないとの決議を行なった。
昭和五十三年にはいって、日本でも尊厳死という語が、マスコミで使われだした。
日本安楽死協会もこの段階で日本尊厳死協会と改称した。
そしてこれ以後、日本の安楽死運動を担ってきたこの団体は、消極的安楽死を尊厳死といい、積極的安楽死をどのようなかたちであれ、主張しないことになったのである。
この間、太旧典礼の意見は積極的安楽死を肯定する側から徐々に消極的安楽死に移行したという。
日本尊厳死協会は、こうして「人間性の尊厳を維持して死ぬ権利」を強調することを骨子としたが、では、ここでいう「尊厳」とはどのような内容を意味しているのだろうか。
止直なところ、日本の尊厳死運動は、「健やかに生きる権利、安らかに死ぬ権利を自分自身で守ろう」というのが基本的な考え方だと、主張するにとどまっている。
だが、この語がどのような意味をもつのか、となれば、その理解はそれぞれの主観的な判断によって大きく異なる。
簡単な疑問では、「安らかに死ぬ権利」というのは、肉体的にか、精神的にか、それとも社会的にか、経済的にか、という側面で異なってくる。
ある人は肉体的にといい、またある人は精神的にとなる。
尊厳の意味が異なっているのだ。
何をもって「尊厳の伴う死」というのかは、実は現在、各国でも多様な見方で論じられている。
「尊厳」というのは誰のための尊厳か、という素朴な問いにさえも明確な答えはないといわれている。
たとえば、老人病院の狭いベッドに寝たきりにされ、腕には点滴の注射をうたれ、膀胱カテーテルも挿入され、人工延命装置に囲まれて生命を保っている老人患者がいたとしよう。
すでに意識も暖味になるときがある。
かつては社会的に活動したであろうこの老人も、見た目には「生ける屍」である。
この老人患者には、「人間としての尊厳」が失われている。
延命だけの医療はやめるべきだと、私は思う。
しかし、この老人患者自身は、たとえそういう状態であっても、別に「自分には尊厳は失われていない」と考えているかもしれない。
「自分の尊厳」とはこのような段階ではない、と考えていることもありうる。
つまり「尊厳」とは、人によってまったく理解が異なるという当たり前のことが、尊厳死運動にはつねにつきまとっている。
これは何を意味しているかといえば、尊厳死運動についての考察は「自者」と「他者」を明確に分ける思想が必要であるということだ。
同時に、たとえ家族であっても、患者の意思を代行することには危険性が伴うということである。
目下のところ、日本の尊厳死運動はリビング・ウィルによって署名したカードをもち、それを医療の場で示すという範囲にとどまっているが、それは賢明な方法といえる。
ただし、このリビング・ウィルの文書は誰もが納得する普遍性をもっていなければならない。
日本尊厳死協会の会員がもっているカード(軍一忌日)は次のような文面である。
私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。
この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
日本尊厳死協会の会員は、この宣言によって結ばれている。
この宣言書に加筆補筆することは一切認められておらず、ここに書かれている三条件を医師に示して諒解を得ることにとどまっている。
だが、現実にはこの宣言書に拘束されるのを嫌う医療機関や医師も多いのだ。
尊厳死をためらう理由天皇の闘病生活が逐一報道された時期に会員数は一丸にふえ、二万八台にのった。
その後、末期医療の実態が広く知られるようになり、さらに自らの人生の終焉を「尊厳」をもって終わらせるためにという患者がふえ、会員は激増をつづけている。
私の取材時(平成四年十一円十し日)、会員数は四万八千三百六十八人となっている。
その後、五万八台にのり、六万人に近づきつつある。
尊厳死を認める社会的環境がしだいに整備されてきていることが、会員の増加につながったことはまちがいないにしても、個々人がはっきりと「尊厳」の意味を自覚して入会しているのかとなれば疑問な点もある。
私自身は、日本尊厳死協会に入会するか否かを未だにためらっている。
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